本日は、令和2年(2020年)8月13日(金)
2度目の投稿です。
【東京・四ツ谷の経営コンサルタント
元キーエンス(→アンリツ)社員、
中小企業診断士の立石です】
終戦の8月15日
毎年私は、靖国神社に参拝しています(今年で20年目)。
なぜ?
その2回目です。
父の軍学校修了の日。
『今度は九段(靖国神社)で会おう』と声をかけあった。
つまり、軍人として戦死すれば、英霊として靖国神社に(まつ)られるということです
全員が決死の覚悟。
どこかで
『万一、生き残ったら九段に会いに来てくれ』
『いやいや来るのは貴様の方だ、俺は祀られているから』の押し問答が聞こえる。
その時、同期の誰かが『戦死しても、生き残っても九段で会えるからいいじゃないか』で、
丸く収まったと。
九段(靖国神社)で再開すること、
これが、父親と同期生との約束です。
そして、それぞれが任地にむかう。
誰がどこに配属されるかは軍機(軍の機密)。
私の会社勤務時代のように
赴任先を知るという当たり前のことが
できない時代。
少年飛行兵(通信兵)として訓練を受けた父でしたが、
終戦まで、通信兵として輸送機に搭乗する機会は少なく、
専ら各地の飛行場で、
航空機の通信機器の整備・性能向上の任務に就いたと。
そして、前回綴りました同期の会合当日。
同期100名全員は無理だが、
成績優秀者の顔ぶれは、覚えていた。
父は、中の上程度だったと。
南方の島々に送られたのは、成績優秀者
南方といえば、激戦地のサイパン、レイテ島等々らしい・・・
米軍との戦闘で全員玉砕(戦死)。
成績優秀者は記憶している、だからこそ辛い。そして、あの裕福な同期生も。
それを聞いて、会合当日耐えられなくなったと。
そして、以降の同期会も参加しなかった。
後年、戦死した同期生との約束を果たすために、
東京出張の際、一度だけ靖国神社に参拝した。
ただ涙が止まらなかったと。
病床の父に、関東に住む私が
今後代わりに行こうか?
『無理しなくていいので、行けるようであれば
参拝に行ってください』が、私への遺言でした。
父にも話したのですが、
有名なお写真『子犬を抱いた少年兵』
この方は、父と同じ歳。
父とは面識が無いのですが、
同じ少年飛行兵(この方は操縦士)として、
別の軍学校に進まれて入校・訓練期間の時期が
父と同じです。
悲しいことに、特攻隊員として17歳で戦死されています。
この方は、出撃前にご家族へ宛てられたお手紙に、
『九段で会う日を待っております』と綴られたそうです。
もし父が、身体検査で、思わぬ中耳炎の症状がなければ
父も特攻隊員であったかもしれません。
まもなく
父との約束から20年目の8月15日です。あさって参拝に参ります。
来年も参拝できるかな?
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