本日は、令和2年(2020年)8月26日(水)
【東京・四ツ谷の経営コンサルタント
元キーエンス(→アンリツ)社員 中小企業診断士の立石です】

尊敬する云々は別として、
個人的に気になる、天才的な人物(将軍)を綴ります。

私の耳学問より詳しい内容(むしろ、より正確な情報)は
ネット情報で手に入ると思います。
間違っていたら、すいません。

前回はドイツ陸軍の将軍を綴りました
同時期の旧日本陸軍の将軍でしたら、
皆さまは、誰を思い出しますか?

例えば、マレーの虎と呼ばれた山下奉文将軍
開戦緒戦、マレー半島を急速に南下、
シンガポールを守る英軍を追いつめます。

敵将パーシバル将軍との会見で、
山下将軍が『無条件降伏か、イエスかノーか』と強く詰め寄り
降伏させたシーンは、豪快です。
当時ニュース映画になり、国民から相当人気があったようです。

本日は、個人的に気になった旧日本陸軍の将軍を綴ります。

石原莞爾(いしわらかんじ)1889年- 1949年

中学生の時、社会科の副読本で初めて知った名前です。
掲載されていた写真。軍服・軍帽姿に切れ長の目。
頭脳明晰ともに、冷徹な軍人という印象がありました。

事実として満州事変(後述しますが、自作自演の作戦で広大な満州全土を一気に制圧)の
首謀者です。

教科書では、この満州事変を機に軍部が暴走して、
日中戦争勃発、そして米国との戦争に向かう・・・
そんな記載だったと思います。

さて、この石原将軍、
満州事変の後、どうなったのか?
ご存じですか?
当時10代の私は、理解していません。

戦死?
あるいは、満州事変に関与したため、
戦後の東京裁判で戦犯となった?

実は、ともに違います。
日本史に詳しい知り合い(以前登場頂いた【よう焼いて喰えっ】ちゅうねん!!の社長さん)から伺ったのですが、
満州事変の後は、戦線不拡大を主張。
そして、後の日米開戦にも大反対という立場であったと(意外!)。

先を見通した思想(戦略)は
当時の日本軍人では、ピカイチだったようです。

もしかして平和主義者?
かなり興味を持ちました

私は、日本史が詳しくありません。
備忘録のつもりで、石原将軍と、その生きた時代を
私見を交えて、時系列に並べていきます。

明治時代以降、日本の仮想敵国は
ロシア(後のソ連も同じ)でありました。

というのも、当時のロシアは世界各地で領土を
拡張していたからです。
日本は、ロシアが(南下して)中国の※満州へ進出→(さらに南下して)朝鮮→そこから日本へ
陸海軍で上陸する手順を、想定していました。

満州(現在の中国の東北地方、位置的には朝鮮の北隣)
面積の日本の3倍以上。
◆参考:清(しん)王朝
この地の満州族が国を建て、
山海関(さんかいかん:万里の長城の東端に位置する関所)を守る
明の将軍の依頼で通過・南進。
明(漢民族の王朝)を滅ぼした李自成を倒します(1644年)。
以降全土を支配したのが、中国最後の王朝【清(しん)】であります。
すなわち、清は満州族が君臨した王朝です。

1904~1905年
日露戦争
ロシアに勝利した日本は、
朝鮮半島での権益を得て、南樺太が割譲されます。
さらに、満州で鉄道(旅順~長春)の租借権を得ます。

◆参考 西アジアの親日国トルコ
何度も越境・侵略してくる、ロシアに手を焼いていたトルコ。
当時、日本の連合艦隊が、ロシアのバルチック艦隊を破って、
勝利した際、国中お祭り騒ぎだったようです。

なお、日露戦争前の1890年。
和歌山沖で遭難したトルコのエルトゥールル号を、日本の地元の方の懸命な救助、
全国からの義援金を送ったことを契機に、トルコは親日国となっていました。

1919年頃
関東軍設置(日本の関東地方でなく、上記の
山海に配置した日本;地理的に満州の鉄道などの権益を守る軍隊)

1914~1918年
第一次世界大戦

◆参考 大戦中のロシア
1917年参戦国のロシアで、レーニンによる革命
皇帝ニコライ2世退位(ロマノフ朝滅亡)
翌年、皇帝は一族とともに処刑されます。

その後1924年
レーニンが死去
ソ連はスターリンが指導者に。

中国本土

1911
清朝時代、孫文による辛亥革命(しんがいかくめい)

1922
最後の皇帝(映画にもなったラストエンペラー)溥儀(ふぎ、当時6歳)退位(清朝滅亡)
共和制国家である【中華民国政府】樹立
・・・孫文の死後は、蒋介石が実権を得ます。

ここから石原莞爾に登場して頂きます。

1929年
世界大恐慌で日本も相当な影響を受けました。
不況対策が求められました。
鉄鉱石・石炭、農作物の資源確保のため
石原莞爾は、満州全土を得ることを企図。
それを具現化したのが満州事変(柳条湖事件)です。

1931年
満州事変:柳条湖事件(りゅうじょうこ)。
関東軍参謀であった石原莞爾が、
南満州鉄道の線路を爆破(関東軍が自作自演)
中国軍の仕業として、鉄道駅付近の都市を抑えます。
但し、関東軍1万に対して中国軍20万以上
少ない兵力のため増援が必要。

そこで、地理的に一番近い兵力が朝鮮軍(当時、日本の統治下にあった朝鮮に駐留する日本軍)。
来援を要請しようとしますが・・・
日本では戦線不拡大の方針であることと、
当時、朝鮮は日本統治にあったため、満州に出兵することは国境を越える【海外派兵】。
これには、天皇の裁可が必要。

それでは。時間を要してしまうと考えた石原参謀。
相当数の兵力を北進させて、あえて南部を手薄にします。
空白地帯ができてはマズイと、朝鮮軍が(本国の了解なく、まさに反射的に)
国境を越えて満州南部に進駐。
結果、満州全土を掌握するに至ります。

そして、自作自演の石原参謀と、勝手に軍を越境させた朝鮮軍双方は、
意外なことに、お咎め無しとなります。
背景には、満州制圧に歓喜した国民世論。
結果が良ければ、規律や命令を
事後承認してもいいという、悪しき前例になります。

1932年
満洲国建国・・・日本の傀儡(かいらい)とも言われます
日本は、清最後の皇帝、溥儀(ふぎ)を満州国皇帝にします。

当時の満州は、人口3000万人
治安治世が安定して
終戦直前ソ連の侵攻前には、人口が4000万人台まで増加したようです。
中国本土の軍閥の搾取や軍閥同士の内乱、後の日中衝突から
避難してきた住民も、少なくなかったようです。

※ここで仮想敵国ソ連(旧ロシア)の動向
1928~1932年
ソ連第一次五か年計画・・・成功しましたが、
背景には、自国民の多大な犠牲がありました
かつて綴りました(>>>コチラをクリックしてください)。

その後、石原は日本の参謀本部に異動。
ソ連が、満州方面の極東で兵力増強している情報を得ます。
国力で劣る日本は、満州や本土で
鉄鋼、航空機生産を充実させる必要があるので
5年程度は戦争をしないと決断。
以降は、一貫して戦線不拡大を主張します。
・・・この思考が戦略的なのです。

1937年の支那事変(日華事変・日中戦争とも)勃発
盧溝橋(ろこうきょう)事件
日本軍と中華民国軍が対峙していた際、
偶発的な発砲から、戦闘に突入します。

※どちらが先に発砲したのか?
最近、第3者の共産党ゲリラが
双方に発砲したという説があります。
双方を争わせて、漁夫の利を得る・・・中国古代からの知恵ですね。

ここで、石原は戦線不拡大を主張しますが
強気の戦線拡大派からの派兵要求と、
中国軍の精鋭が北京に進出という誤情報で
邦人(在留の日本人)保護のため派兵案に止む無く同意。
北京、上海に戦線拡大、苦戦のたび増派が続きます。

1937年
南京攻略しましたが、
以降、日中戦争は長期戦となり泥沼化。

1937年
石原が関東軍参謀副長・・・戦線不拡大
その時の上官(参謀長、後の陸軍大臣)東條英機は戦線拡大派。
二人は対立します。
天才石原は、5歳上の東條を無能だとしていて、
【東條上等兵】と罵ったようです。

1940年(昭和15年)
石原が出版したのが、『世界最終戦論』
航空機主体の日米決戦の後、世界平和が訪れる。
そのため、航空機であれば、戦艦のような大量の資源を必要としない。
但し、日米決戦は相当先のことだと考えていました。
・・・翌年12月の対米開戦には、大反対でありました。

1941年3月
東條英機と対立して左遷
予備役に(軍人として引退)
そして、米国が対日石油輸出禁止

1941年12月
日本は米国との戦争に突入しとます。

1945年8月終戦
東京裁判で、石原は訴追されることなく
証人として出廷しました。
連合国は、東條を有罪にしたかったので、
対立していた石原から、東條が不利になる証言を期待しました。
ところが、第1級の戦犯は、原爆で民間人を殺戮した、
米国のトルーマン大統領だと主張を持っていたようです。

その後、最終戦争の予測は、誤りであったとして
戦争放棄に徹すべきだと、たくさんの聴衆の前で
病を押して講演をしたようです。

起きてしまった日米戦争の戦略を聞いた
日本や世界の記者は、『石原将軍だったら勝てるかも?』と
舌を巻いたようです。

◆参考 その後の中国大陸

終戦時105万人駐留していた日本軍は、即座に復員(日本に帰国)します。
その後、【中華民国政府】は、後に共産党との内戦に敗れて、
蒋介石が台湾に移ります。
つまり、現在の中国本土にある政府は、
中華民国でなく、内線で勝利した中華人民共和国(現在の共産党政府)。
ちなみに、中華人民共和国が成立したのは、
第二次世界大戦後の1949年であります。

∴時系列的で判明することですが、
終戦時に日本がポツダム宣言受託。
降伏した相手方、連合国の一員である中国とは、
中華民国政府(現在の台湾)であって、
現在の中華人民共和国政府ではありません。

ここからは、またもや無理すじのご案内(ご容赦ください)
戦略という用語も出ましたので・・・

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